「 新しい年 」

Greetings from me!

Hello!

今、中国の三亜に来ています。
海を眺めていて、全てが流されている自然のリズムを感じます。

この素敵なリズムにただ沿っていければよいのにな、と思いながら同時に、今年はこのリズムにどれだけ逆らい、自分の思い通りにしようとしたり、焦ったり、“今”に止まれない多くの時間を過ごしたか、思い出されました。

色々なチャンスという波も来ていたのに、わたしは無理、まだ時じゃないなどと言い訳して逃していたことにもアイデンティティーがあったはず、ごめんなさい、と思います。

2018年が終わるに向けて、与えられたこと、逃してきてきたこと、見て見ぬ振りをしたこと、たくさんのギフトに、わたしの前に現れてくれて、クリーニングの機会をくれてありがとうと、心から思います。

今日本に帰る準備のためにパッキングしています。帰り道はスーツケースが半分だけしか埋まっていない、そのことに少しづつですが、整理されてきているのだと感じています。

2019年は、できるだけ計画や予定を空けて、何が起きるのか、ただそれが起きるままに自分が変化する、流れに乗る、そのことを楽しみにしていきたいです。

読んでくださるみな様、ベティーズルームにいらしていただいたみな様、すばらしい変化と内省を分かち合ってくださり、ありがとうございました。

あなたにしか出せない色やリズムを感じて2019年をスタートしませんか?

「 みんなベストを尽くしてる 」

今回、三亜で行われたSITHホ・オポノポノベーシック1クラスでは、
コーディネーターは他にいたため、わたしはただスタッフとして、
クリーニングを通して参加していました。

部屋の後ろに座っていたのですが、
同じ列に、1歳くらいの女の子と一緒に参加しているお母さんがいました。
赤ちゃんは、いつも泣いていて、お母さんはそれに苦しんでいるように見えて、
部屋を出たり入ったりしていました。

わたしはまず、ただクリーニングしていました。
わたしの中の一体何の記憶が、このような状況を生み出しているのだろう。
わたしの中の一体何の記憶が、この状況にこんな風に心を動かされているのだろう。

そうしている内に、
「わたしの立場はスタッフとして、クリーニングすることだ」という強い思いを感じました。
そして、この強い思いは、インスピレーションというよりも肩がこって息が浅くなるような、
あまり心地のよくない感覚であるとこに気がつきました。

であれば、クリーニング。
と、またクリーニングを続けていると、
「こうでなければいけない」
「こうあらねばならぬ」
という意識がどんどん軽くなっていって、
次には自然と体が動いて、
気づいたら部屋を出てそのお母さんのところへ行って
言葉はわからないけれど、赤ちゃんを引き受けていました。
あ母さんはわたしの目を見て、何か今起こるべきことが起きていることに安心して、
1人クラスへ戻って行きました。

わたしは久々の赤ちゃんに癒されながら、
自分が子育てしていたことを思い出したり、
娘が初めての出産で色々大変な思いをしていたことを思い出したり、
孫へのたまに強すぎるほどの愛情を思い出したり、
結婚していた頃のことを思い出したり、

それらをクリーニングしては、
また腕の中にいる中国人の赤ちゃんの存在を丸々と受け止めたり、
泣き止んだ時には、部屋にまた戻ってみたり、

色々とクリーニングが続きました。

休憩時間になると、教室の外の廊下でその子のお母さんとその子のおばあちゃん、
つまり、義理のお母さんが鉢合わせし、あとでスタッフに聞くと、
その義理のお母さんは、お母さんに「見知らぬ人にこどもを見せて自分はクラスに参加しているなんて信じられない」と
かんかんに怒ってどこかに言ってしまったとのこと。

そして、休憩が終わると、また自然な流れでわたしは泣き止まない赤ちゃんをお母さんから預かり、空気を変えようと、
今度は会場ホテルのロビーに出て見ました。
すると、先ほどの赤ちゃんのおばあちゃんが、スーツケースを持って、チェックアウトをしているではありませんか。
わたしは、怒ったおばあちゃんが、荷物をまとめて帰ってしまうのだと思って、
慌てて、ひきとめました。

上にいた日本語と中国語が喋れる通訳を読んで、
ロビーの静かな席で通訳をしてもらいました。

どうやらわたしの勘違いで、
今日どちらにしてもチェックアウトだったから、
先に部屋を出ていただけとのこと。
クラスが終わるまで、どこかで待っているつもりだったのだと。

わたしは勘違いを詫びて、
そして言いました。

「わたしが無理やりこの赤ちゃんを預かったのです。
お母さんは渋々わたしに預けてくれただけなんですよ」
と。

おばあちゃんはまだまだ泣き止まない孫を見ながら、少し悲しそうな顔をしていました。

わたしはただクリーニングしていました。

「体力ないんだ」とおばあちゃんは呟きました。

そして、わたしもいつも思っている、
孫ともっともっと遊びたいけれど、想像しているよりも実はない体力に
とても悲しく思っているということを思い出しました。

「わたしもなんです、悲しいよね」

とおばあちゃんに言いました。
そして彼女は言いました。

「本当はもっともっと、孫の子守がしたい。
でも、嫁はわたしのやり方にけちばかりつけて、見せてくれない」

そこに怒りはなく、
ただ素直に1人の無防備な女性が本音を話している、
何の棘もない、その様子がありました。

わたしも正直に笑って言いました。

「お嫁さんも強そうな人だからね。
わたしも最近、お嫁さんができて、正直複雑なんだ」

そこで、お互いやっと笑いあって、
少し打ち解けながら、孫ってかわいいよねと言い合いました。

そして言いました。

「でも、時代が変わってきていて戸惑うこともあるけど、
わたしたちも結婚したとき、初めて子ども産んだ時、楽じゃなかったよね。
あの時の自分だと思って、できるだけ、あたたかい気持ちでお嫁さんと接したいよね」

そうすると、おばあちゃんも笑っていました。

気がついたら、腕の中で赤ちゃんが寝ていました。

わたしは、寝ている赤ちゃんをクラスに参加させようと、急いでクラスの部屋に戻ると、
お母さんは、初めて会った時には想像ができないような、穏やかな顔でクラスを受けていました。
すやすやと眠っている赤ちゃんを受け取って、
甘く、優しい、世界中のお母さんの美しさがそのまま絵になったような
まあるい光を灯していました。

クラスは無事に終わりました。
わたしにとっては、
役割を外していくと見えてくる自分の中の自由で自然なリズムと出会うことができる本当に特別なクラスとなりました。

わたしも普段は忙しく、余裕がなくて、
仕事上の役割に追われ、
そんなこと滅多にしないし、こんなに自然になにかをすることなんてありません。
だから、これは三亜とクラスが与えてくれた、
わたしへのギフトなんだと思います。

クラスの外に出ると、
先ほどのおばあちゃん、お母さんの義理のお母さんが外で待っていらっしゃいました。
2人はお互いの存在を自然に受け止め、
赤ちゃんとの再会に喜びあい、帰りの道を一緒に歩いて行きました。

わたしは最後にふざけて、赤ちゃんをもう一度抱っこしようとしたら、
赤ちゃんはまたお母さんから引き離されると思ったのか、泣き出して、
代わりにおばあちゃんのほうに助けを求めていました。
お母さんも、おばあちゃんもそれを見て、お互いの顔を見ながら心から笑っていました。

みんなが一生懸命でベストを尽くしている。
でも、いろんな記憶や過去のしがらみで、
分かり合えないもの同士がこの世には結構います。

自分のことですら、わかっていないときのほうがほとんど。
でも、痛みの殻や役柄役割をそっと外して、
自分のうちから出てくるリズムを信頼すると、真理が見えてきます。
本当の安堵が人生に戻ってきます。

Enjoy!

B

写真は、2018年最後のクラスで訪れた中国最南端にある三亜の海です。
ビーチです。
静かすぎて、波の音に埋め尽くされた先には、
わたし自身の絶え間ないリズムの変化が聞こえてきました。
そのユニークで全く飽きないリズムのおかげで、そこに何時間でもいられると思いました。
沖縄育ちのわたしとしては、やっぱり海風があって生暖かい空気が心地よかったです。
ありがとう、三亜。

(2018/12/22)

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